モーターサイクル

三重県内のモーターサイクルに関する記事です。



MFJグランプリ予選 2輪レースで日本国内初 ノックアウト方式、本格採用=三重

2007年9月3日、読売新聞

「MFJグランプリ」予選 三重・鈴鹿サーキットで2007年10月20、21日

三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキット・国際レーシングコースで2007年10月20、21の両日開催される2007全日本ロードレース選手権シリーズ最終戦「第39回MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)グランプリ スーパーバイクレースin鈴鹿」の予選が、何度も走行し、段階的に振るい落としていくF1と同様の「ノックアウト方式」で行われることが決まった。2輪レースでの本格採用は日本国内では初めてで、ポールポジション獲得まで何度も予選レースを楽しめることから、ファンの人気を集めそうだ。

MFJは、日本国内の2輪レースを統括する団体で、そのタイトルを冠した伝統ある大会は2006年、6年ぶりに鈴鹿サーキットで復活した。再開2年目の2007年も、2007全日本ロードレース選手権シリーズ最終戦として鈴鹿で開催する。

ノックアウト方式が採用されるのは、計5クラスのレースの中で、シリーズチャンピオンに文部科学大臣杯が贈られる日本国内最高峰クラスの「JSB1000」。まず10月20日午前の第1回公式予選で、44台の決勝進出マシンが決定する。10月20日午後の第2回公式予選が「新方式」となり、「第1セッション」の15分間の走行で25~44位が振るい落とされる。「第2」で13~24位が決まり、最後の「第3」に残った12台で、ポールポジションを争う。この最終セッションは1周5・8キロのコース上に、わずか12台という状況で、常にタイムアタックが可能な状態となり、次々と最速タイムを更新するという展開が予想されている。

また、10月21日の「JSB1000」決勝レースは「2レース制」となり、緊張のスタートシーンや迫力の決勝レースが2回楽しめる。

MFJグランプリ スーパーバイクレースの前売り観戦券は、大人3000円、ペア(大人2人)5500円、中高生1600円で発売している。問い合わせは鈴鹿サーキット。


元選手 八代さんに聞く ライダー殿堂やクラブ設立 意義や課題 若者が親しめる環境を

2018年8月4日、中日新聞

【三重県】日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)の大島裕志会長らが、歴代の優秀な選手や功労者らを顕彰する殿堂の設立と、歴代のチャンピオンらに入会を呼び掛けるレジェンドライダースクラブ設立を表明した。2018年7月下旬に鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)で開かれた鈴鹿8時間耐久ロードレース(鈴鹿8耐)が熱を帯びる中、発表された構想。その意義や課題について、鈴鹿市内在住の元GPライダーでモータースポーツジャーナリストの八代俊二さん(57)に聞いた。

-全日本ロードレース選手権での優勝経験もありますが、殿堂設立についてどう思いますか?

自分からどうこうでなく、他薦で殿堂入りするなら素晴らしい。ただ選考基準はしっかり定め、誰もが納得する人を選んでほしい。

-モーターサイクルスポーツの課題は何でしょう?

野球でもテニスでもヒーローが生まれて盛んになったように、モータースポーツにもヒーロー・ヒロインが必要。メーカー、競技団体がモータースポーツの価値を高める努力をしてほしい。しかし競技人口拡大には今の免許制度が壁になっている。大型二輪免許が18歳にならないと取れないようでは若者は四輪に流れてしまう。免許を取るための費用もばかにならず、若いうちからバイクに親しめる環境づくりが大切だ。

殿堂とレジェンドライダースクラブの構想、概要は次の通り。

【殿堂】日本や世界のチャンピオンらのほか、モータースポーツ発展に貢献した功労者に光を当てるとともに、過去の記録を後世に伝える。近く準備委員会を開き、選出選考基準を決め、2018年9月にライダーを選出、12月に殿堂入りライダーを顕彰する。

【レジェンドクラブ】対象は55歳以上で歴代全日本チャンピオンらに入会を呼び掛ける。役員には鈴鹿のモリワキレーシングの森脇護社長らが名を連ねる。


超絶テク、全開の6連覇 全日本トライアル・小川選手 /三重県

2018年11月2日、朝日新聞

三重県鈴鹿市を拠点に活躍するオートバイのトライアル競技選手、小川友幸さん(42)が、スポーツランドSUGO(宮城県)で2018年10月21日にあった全日本トライアル選手権国際A級スーパークラスで優勝し、今季全7戦の年間王者になった。小川さんの年間王者は2013年からの6連覇で、前人未到の記録だ。

MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)が管轄するロード、モトクロス、トライアル、エンデューロ、スノーモービルの5種の競技でも6連覇はまれだという。小川さんの年間王者は2007、2010年を加え、通算では8度目になった。

トライアルは、時に垂直に近い障害物を乗り越えていく競技で、バランスを取りながらマシンを操る。2輪の基本がすべて入った競技ともいわれる。

小川さんは今季、「HRC(ホンダレーシング)クラブMITANI」の選手として参戦した。第6戦までを終えた段階で3勝して総合で暫定1位だったが、2勝で暫定2位の選手とは僅差(きんさ)。6連覇のためにはどうしても最終戦のSUGOで優勝をもぎ取りたかった。

試合当日の10月21日。出足の1ラップ目こそ大きい減点もあったが、2、3ラップと圧倒的な技術を見せた。結果的には余裕のある勝ち方で念願をかなえた。

「ほっとした、のひとことでした。6連覇を2018年に逃したら、もう1度2019年からなんて不可能に近い。優勝を決めた時も『よかった』と叫んでいたのではないかと思います」

小川さんは三重県四日市市生まれで、三重県菰野町在住。父親の影響で自転車やオートバイのトライアルに早くから親しんだ。国際A級スーパークラスは日本国内独特のクラス分けで、国際A級のなかで飛び抜けた選手だけが走れる。しなやかなマシンさばきの姿勢などから、「GATTI(ガッチ)」(イタリア語で「猫」)が小川さんのニックネームだ。

かつては20代後半~30代前半で引退と言われた競技だが、気力は十分で、「今は次の目標がまだ決まらない状態ですが、行けるところまで行ってやろうと思っています」と話す。


「モトクロス」4台 韓国の元選手に 友情のバイク返還 競技指導 名古屋市西区の近藤さん 三重・鈴鹿の大会後30年自宅で保管

2011年8月16日、中日新聞

【愛知県】30年前、韓国の選手にオートバイのモトクロス競技を指導した名古屋レーシングクラブ会長の近藤幾夫さん(74)=名古屋市西区=が、三重県の鈴鹿サーキットの大会で乗った思い出のバイク4台を、当時の選手に返還した。2011年7月下旬に韓国・ソウル市で記念セレモニーが開かれ、大切にバイクを保管し続けた近藤さんに、感謝の気持ちが伝えられた。

モトクロスは未舗装のコースを走る競技。近藤さんは韓国で競技を観戦した縁で、1975年ごろから指導した。上達するにつれて韓国の選手が日本でのレース出場を希望するようになった。当時、韓国政府は国民の海外渡航を制限。近藤さんは名古屋の韓国総領事館に通って交渉。韓国側と資金を出し合い、125ccのバイク4台や整備要員の確保など2年がかりで準備を進めた。

1980年10月、12人の選手団の招致を実現。三重県の鈴鹿サーキットのモトクロス場(現在は廃止)であった日本グランプリレース出場にこぎ着けた。

選手は1981年のレースにも参加したが、以後は交流は途絶えた。近藤さんは選手が使ったバイクを自宅で保管し続けてきた。

30年たった2010年、友人の会社社長種村隆司さん(63)=名古屋市東区=の協力で、当時の選手を捜し始めた。ヘルメット製造会社社長になっていた朴南泰(パクナムテ)さん(60)にたどり着き、バイクの返還を持ち掛けると、話は一気に進展。2011年6月、朴さんらが手配した業者に4台を引き渡した。

7月26日にソウルで催された引き渡し式には、当時の選手5人ら日韓の50人が出席。バイクを並べた会場で、韓国モーターサイクル協会から近藤さんに「感謝牌」が贈られた。選手団長を務めた辛玉実(シンオクシル)さん(77)は「30年もの長きにわたり、大切に保管し続けていただくとは、なかなかできないこと。今後も交流していきたい」と感謝の言葉を述べた。1台は済州島の博物館に収められる。

近藤さんは「歓待していただき、最高の形で返せました」と喜んでいる。


すずかめ 元気インタビュー (68) 藤井謙汰さん(16) 三重県鈴鹿市住吉町 バイクレース「GP-MONO」年間V 次は世界に挑みたい

2010年12月4日、中日新聞

【三重県】バイクレースの4サイクル250ccクラス「全日本選手権GP-MONO」で、三重県鈴鹿市住吉町の鈴鹿高校1年藤井謙汰選手(16)=TSR=が、2010年の年間チャンピオンに輝いた。きゃしゃな体から繰り出される強靱(きょうじん)な体力と精神力で成し遂げた史上最年少の快挙。「2012年は世界に挑戦したい」と意気込むライダーに迫った。

-年間を通しての王者までの道のりは。

全6戦で、最終的に2位だった選手が、初めの2戦を勝ったので、年間王者になるには負けられない戦いが続きました。3戦から5戦までを勝ち、最後は鈴鹿サーキットで4勝目を挙げ、逆転して王者になれました。本当にうれしかったです。

-バイクを始めたきっかけは。

父(正和さん)がバイクチーム(TSR)の監督をしていて、小学生で鈴鹿サーキットのレーシングスクールに行っていました。ハードなスポーツですが、一生懸命にやって勝てるようになると、ますます面白くなって続けるようになりました。

-最初はバイクがあまり好きではなかったと聞きましたが。

父に連れられ、幼いころからチームに同行しました。知り合いの選手たちがレース中にけがをして、大変な思いをしているのを見て来たので、バイクに興味が持てませんでした。小学6年生の時、元ライダーの祖父と父の3代でレースに参加して、バイクを楽しく感じるようになりました。

-高校との両立は大変なのでは。

はい。平日はランニング程度ですが、土日は練習とレースがあるので、遊ぶ時間がほとんどないのが現実。友人をうらやましく思うことも正直あります。学校の課題は平日にこなしますが、レースとテストが重なった時は特に大変です。

-練習やレースはきつくないですか。

何しろ、命がかかっているので、体力面だけでなく、精神的にも追い詰められた状態での真剣勝負です。勝利を成し遂げれば、その苦労も吹き飛びますね。

-将来の目標は。

2011年は全日本のシリーズに参加し、次は世界に挑戦したいと考えています。結果を出すのは大変ですが、将来は世界の舞台でも活躍して、優勝を経験したいと思います。

ふじい・けんた

三重県津市の三重大付属小学校時代にバイクを始める。2007年に鈴鹿サーキットのミニモトクラス、群馬・榛名サーキットのNSFクラス、岐阜・明智サーキットのミニモトクラスで優勝。全日本選手権GP-MONOでは2008年2位、2009年3位。2010年から大会出場に理解を示す鈴鹿高校に進学した。年間王者を勝ち取ったマシンは2010年12月15日まで、鈴鹿市役所1階のモータースポーツ振興コーナーで展示されている。


愛知県内最大のサーキット場 蒲郡で完成

2007年6月5日、中日新聞

【愛知県】蒲郡市西浦町で建設されていた愛知県内最大のサーキット場「スパ西浦モーターパーク(SNMP)」が完成し、2007年6月4日に報道関係者に公開された。6月9日の完工式後、6月10日から一般ドライバーに開放する。

SNMPはレース用車両メーカー・伊藤レーシングサービス(愛知県岡崎市)が建設した。敷地面積は9万8000平方メートル。コースは、直線部分416メートルを含み全長1561メートル、道路幅は12メートル。

カーブの安全地帯を広げるなど安全確保のための設計変更で当初計画よりコースは短くなったが、伊藤レーシングサービスよると別格の鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)、富士スピードウェイ(静岡県小山町)を除き、日本国内では筑波サーキット(茨城県下妻市)級に次ぐ規模という。

今後、日本自動車連盟(JAF)や日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)の中部地区対象の公認レースの誘致を目指す。走行には予約が必要。


三重・鈴鹿サーキット モータースポーツ楽しもう きょう、あす ファン感謝デー 新機種カートも登場

2005年3月12日、中日新聞

【三重県】鈴鹿サーキット(鈴鹿市稲生町)は2005年3月12、13の両日、「2005モータースポーツファン感謝デー」を開く。モータースポーツ開幕イベントで、多彩な行事のほか、新機種のレーシングカートの営業も開始する。

3月12、13日とも国際レーシング場ピット周辺で、フォーミュラニッポン、GTマシン、8耐マシン、往年のF1マシンなどを展示する。3月12日はフォーミュラニッポンの合同テスト走行や、レーシングカーのエンジン始動体験などがある。

3月13日は8耐マシンのデモ走行や、午後2時から川岸光男・鈴鹿市長が全国で初めて宣言した「モータースポーツ都市宣言」をPRする。

モータースポーツランドでは3月12日から、感謝デーに合わせて新機種のレーシングカートの営業を開始する。39台のレーシングカートは環境に配慮して200ccと270ccの4サイクルエンジンを搭載した。レインタイヤで雨天も走行が可能となる。

身長140センチ以上なら誰でも乗車でき、コースはロング(472二メートル)とショート(160メートル)がある。初心者のカートCからB、A、S級まで段階的に挑戦できる。料金は500円から3000円。